マリッジブルー
「マリッジブルー」という言葉はまだその頃なかった。
結婚は決まっていたし、結婚式の準備も進めていた。
周りの大人からも、「今が一番いい時期よね〜」などと云われていた。
結婚式は私の住んでいる関東圏ではなく、相手の家族の近くの近畿圏で行われることになっていた。
私の側にはすでに祖父母はなく、相手の祖母が孫の結婚式を楽しみにしているし、彼も出席して欲しいと願っていたからだ。
そのことに全く異論はなく、むしろ祝福してくれる人が増えるのは嬉しいことだった。
とはいえ、結婚式の準備は諸々細かく煩雑で、「どこが一番いい時期なのよ…」と心の中で何度も溜息をついていた。
準備が着々と進んでいく中、「このまま結婚していいのだろうか…」という思いが何度も浮かんだ。
結婚を迷う、というのは誰にでもあり得ること。
たいていの場合は、「この人と結婚していいのだろうか」という疑問が原因ではないかと思う。
ちょっぴりはそんな気持ちもなくはなかったが、私の場合の原因は少し違った。
親類縁者が増えることが何より憂鬱だったのだ。
私は4人家族の末っ子として育った。
父方の親戚とは母との折り合いが悪く疎遠になりがちだったが、四国にいる母の姉は時々わが家に泊まりがけで遊びにきた。
母は7人姉弟の6番目で、家に遊びにくる伯母は母のすぐ上のお姉さんだった。
母とは違う観点の大人の女性の話は面白く、私はこの伯母さんが好きだった。
彼女にはユーモアもあって、彼女の話に何度も笑ったこともある。
小学生だった私は、伯母さんがこんな面白いことを云ってたんだよ…という風に友だちに話した。
そして、友だちに伯母さんの話を話したことを母にも話した。
すると母は、「何でそんな身内の恥を人に話すの!」と凄い剣幕で私を叱った。
衝撃だった。
なぜそんなに叱られるのか理解できなかったし、身内の恥を話したつもりは私にはなかった。
私が話した内容が恥だと云うのなら、何が恥でないのか、どこまでなら話しても構わないのか、私には全く判断がつかなくなり、家族のことも親戚のことも長いこと誰にも話さなくなった。
と同時に、人にどう気を遣ったらいいのか混乱した。
元々、人に気を遣うことが得意でない質なので、混乱は深かったと思う。
そんな状況を克服しないまま結婚の話が進み、どう接していいのか想像もつかない親戚が単純計算で倍くらいの数になるのは、私にとって恐怖でしかなかった。
デートをしている時も、親戚が倍になる…という考えが頭をかすめると冷や汗が出てくる。
「やっぱり結婚は…」と何度も思った。
けれど、なかなか口に出す勇気がなく、結婚式の準備は着々と進んでいった。
当時は都内に勤務していて、利用していた東急東横線は渋谷止まりだった。
仕事帰りに東急線の改札を入りプラットホームを歩きながら、入線してくる電車に「今飛び込んだら死ねるんだな」と漠然と思った。
幸いにも飛び込んだりはしなかったが、少し冷静になると、自分はだいぶまずい精神状態にあるようだ…ということに気がついた。
次のデートの時に、彼の言動や自分の気持ちを素直に見つめようと思い、「私は本当にこの人と結婚したいのだろうか?」と自分に問い続けた。
答えは、「この人と結婚できないのなら、私はきっとこの先も誰とも結婚できないだろう」だった。
だからと云って、親戚が増えることに対する恐怖が消えるわけではない。
なので、こっそり自分なりのルールを作った。
① どうしてもダメだったら離婚を考えてもいい。
②自分で決めたことは、誰のせいにもしないこと。
「案ずるより産むが易し」という諺がある。
先人たちは偉大だ。
私は無事に結婚し、家族をつくり、心優しい親戚に恵まれて暮らしている。
Sponsored by イーアイデム